タヌキの餌づけ

動物編担当調査員
佐藤徹

奈良・平安時代の銭

玄関先に現れたタヌキの番い
(昭和59年1月撮影)

タヌキ=日本にはキツネ、そしてタヌキがイヌ科の仲間で、明治以前にはオオカミも生息していた。タヌキは、その中で最も原始的で、木に登ることも出来、雑食の夜行性哺乳類である。

俗にいうタヌキ汁というが、ほんとうはアナグマ汁のことであり、タヌキではない。また、貉とは、アナグマの異称であり、しばしばタヌキも混同されている。

寒い地方では、冬眠をするが暖地では行わない。

飯能では、冬でも現れるものの、特に寒い日には見られない。

そんなところからして、生息位置の中間にあると思われる。

さらに今後の調査が必要であろう。

昨年の十ニ月、私の家の近くで一匹のタヌキを見つけた。

このタヌキをなんとか家まで呼ぶことができたら、と思い餌づけを試みることにした。

数日間、タヌキを見た場所から家の玄関前ニメートルほどのところに、餌を点々とまく。

毎朝、餌はきれいになくなっているものの、ほんとうにタヌキが食べていったものかどうかわからない。あるいは野良犬か猫かもしれない。

いよいよ見張りをはじめる。

餌はラーメンにした。自宅の玄関を半分開いてそれを置き、ダンボール箱をこわして覆いとする。私は家の中に、餌は覆いの向こうに、庭の水銀燈をつけて、これで準備完了である。

最初に現れたのは野良猫だった。猫はまだしも、野良犬は餌のラーメンをきれいに食べてしまうので困ったものである。

野良犬、猫を追い払いながら見張りを続ける。午後八時、十時、十二時と時間が過ぎていく。

やがて午前二時頃一匹のタヌキが、明かりの下に現れた。

周囲を警戒しながら、玄関まで点々とまかれた餌を辿りながら、しだいに近づいてくる。するとすぐ後からもう一匹、なんと番いのタヌキのようである。

その様子をじっと息をころして観察する。

それから二か月余り、いまではひと番と一匹、つまり三匹のタヌキとのおつき合いの日々である。

時には夕方の五時、六時に姿を現すようになってきた。

私の帰宅が遅くなったある日、代わりに家内が餌を置きに行った時、すでにタヌキが先に来て待っていたり、目の前で番の雄と一匹の雄の大喧嘩がはじまり、私と子供達が、かげで見ていることすら気づかないほどだったりで、いまではすっかり家族全員と仲よしになってしまった。

やがて春が来て、このタヌキにも子どもが生まれ、親子そろってやってくる日をたのしみにしている。

編集後記

○私は墓地が好きである。見知らぬ土地へ行っても、墓地を見かけたとき、大てい立ち寄ってしまう。それは寺の墓所、野の墓、山の麓にぽつんと立っている墓石、そうしたもの一切である。

神杜の前に立つと、そこから受ける感じは冷厳そのものであるが、墓地の印象は温かい。遠い昔から、その町や村に生まれ、死んでいった人たちの声が聞こえてくるようである。いまでは、墓地へ一歩足を踏み入れたとたん、墓石の形態などから、その土地のいつわりのない歴史がピンと響いてくるまでになってしまっている。

いまとりかかっている市史も、後世に残すための正確な墓碑銘たらんと希うばかりである。

○本号の特集は、クモについて嶋田順一さんに、タヌキとの出会いのいきさつを佐藤徹さんに書いてもらった。いずれも初めて知ったことであった。

来年度には資料編「飯能の自然動物」を刊行する予定となっているので、それについて何か目新しい情報があったら、ぜひ編さん室へご一報願いたい。

編集委員 島田欽一