─地誌編─
強清水の鍾乳洞

地誌編担当調査員金子仙太郎

30mほど奥に見える石柱

30mほど奥に見える石柱

南川地内に住む長老より面白い話を耳にした。「強清水(飯能市南川、平沼甲八氏所有地)の鍾乳洞へ、昔一羽の雄鶏を追い込んだところ、翌朝4㎞も離れた坂石の岩殿観音(法光寺所有地)の鍾乳洞へ抜けて「ときの声」をあげた、という言い伝えがあり、いま入ってみるとチョロチョロと水の音が奥から聞こえることがある。」というのである。

1、石灰岩と化石

南川字畑井から、天目指峠を経て名栗へ通ずる道路を300mほど行くと花桐と久通の分岐点がある。左折する橋下附近は石灰岩が露出し、東側の輝緑凝灰岩と隣接している。そこから上流は、しばらく石灰岩の露頭や転石が見られ、その中からは、フズリナ・ウミユリの化石が発見されている。

2、鍾乳洞(A)

橋の対岸8mほど上に小穴が見える。全長13mの鍾乳洞である。中は輝緑凝灰岩と石灰岩の接する面と、輝緑凝灰岩の中に石灰岩(亜円礫)を含む礫岩層が見られる。

この鍾乳洞は現在発達している様子はない。

3、鍾乳洞(B)

はじめに触れた話題の鍾乳洞である。

橋の上流100mほどの対岸に出て、さらに約80m登った山腹に石灰の露頭があり、その下部にポッカリ大きな穴がある。あるときそこへ3人で入って見ることにした。8mほど進人すると急に狭くなり這って入った。

あたりの暗がりにはカマドムシの群棲が見られ、底には堆積物(土)があり、次第に狭くなる。十数mのところ、左壁面の穴に鍾乳洞特有の畔田が一つ見られたり、鳥の屍骸があった。

その先は入れないので、一旦引きあげた。そして、あらためて計画し、数名の加勢を得て土積を排除し、もぐれるようにした。入ること25mほどのところに丁字路があり、ほんの少し水が流れていた。幅1m余り、高さ40㎝前後で、人間がやっともぐれるくらいである。底には5〜6㎝以下ぐらいのチャートの角礫が堆積しており、乾季は流水活動は少ないが、雨季になると左手奥から音をたてて水が流れる。奥を覗くと30mほどの辺には、鐘乳石、石筍、石柱などが小規模ながら見られる。

左右の穴からは、栗の皮や杉の枯葉、針金の切れはしが発見された。長老は「たぶん、イタチやタヌキなどが鳥を引き込んで食べたり、栗の実を持ち込んだのではないか」と話してくれた。とにかくその先は前進できない。はじめに書いた雄鶏の話は果たしてほんとうのことかどうか。

編さん日誌

7月
5日産業編部会
6日長念寺文書調査
7日法光寺文書調査
8日近世文書編集小委員会
9日行政2編集小委員会
11日割付作業開始
12日地名現地踏査会
13日近世文書編集小委員会
16日行政2編集小委員会
21日近世文書編集小委員会
23日行政2編集小委員会
28日近世文書編集小委員会
30日行政2編集小委員会
8月
9日産業編部会
11日近世文書・行政2の口絵写真撮影
23〜24日県立文書館主催の古文書講座(事務局員出席)
30日割付作業終了
9月
3日行政2編集小委員会
6日産業編部会
9日近世文書編集小委員会
27日編集委員会(行政2・近世文書の最終編集)
29日編さん委員会(資料編行政2・近世文書の発刊について)

戻る