地名・姓氏部会こぽれ話

地名・姓氏編担当調査員織戸市郎

井上村・長沢村略図

東吾野地区の林相

西川林業地帯の一画を担う東吾野地域は、美林地帯としても名を知られております。ほとんどが杉・桧などの用材林ですが、寒地や暖地の樹種のそれぞれの南限北限というのも地域の特性を知る上に大変重要なことと思われます。

1 富士見嶽

風影に富士見嶽という小字がある。富士見町とか富士見団地というのはごく最近に続々と生まれた。なかには名にそむくものさえあるようだが、ここはさえぎる山もなさそうだし、標高も顔振峠の富士見茶屋とさしてかわらない。

ではいつごろから地名になったものか。明治九年の公図にはちゃんとある。─部会では地名成立の時代を大事なテーマにしている─大体風流な地名というのは江戸時代からはやったようだ。

2 目出たい地名

井上の小字に梅久保、松ノ窪、竹之窪、鶴ノ峰、亀ノ沢、それに宝山、旭嶽まである。現代新地名の先輩である。松竹梅、鶴亀と目出たい名が揃っている。優雅だがこうなってしまうと地名から土地の情緒を知ることができなくなる。

3 風影・とうみぐち

東風影にはいくつもの小名がある。その一つが「とうみぐち」といって風みちになっている。とうみは唐箕だろうと、さすがに年の功で委員の反応ははやい。唐箕というのはご存知のように手まわしで板羽根をまわし穀類を選別する農機具。つい近ごろまで使われていたが、元禄時代に中国から伝わったといわれている。唐箕がヒントだとすると地名の年代はおよそ見当がつく。元線以後はまちがいないとして、風影で使いだしたのはいつごろのことだろう。

さて、こんどは風影である。これがまたわからない。地名辞典を手分けして探すが駄目、日影というのならいくつもある。日かげがふかげといつか訛ることもあり得よう。ところが南のひらけた日当りのよい台地で、「風影の福みかんがあったっけ」と先輩委員が昔をなつかしむ温暖な佳境である。

そこで唐箕口がまた話題にのぼる。風はなんといっても生活をおびやかす。風のないところが「かぜのかげ」だということになったが、これにはちょっとしたこじつけがある。「かざかげ」と呼ばれた原始地名に漢字があてられると、いつか風影になるのが人情だというのである。

4 検地帳と地名

東吾野には慶長二年(一五九七)という特別に古い検地帳があり、現在の二倍もの小名がのこされている。寛文八年(一六六八)のもあるということで、小字の転変を知るには最高級の資料だ。次回はこの検討に入るがいままでの推論がひっくり返ったりすることもありそうだ。

「57・7・5議事録」より

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