倉稲魂の命と稲荷信仰

市史編さん嘱託井上智真

正一位丹生大明神

飯能・諏訪八幡神社境内社
正一位丹生大明神

諏訪神社は市内でもっとも多い合祀社をもつ神社です。丹生社は武人の信仰ガあつく、市内の神社のいくつかに合祀神としてまつられております。

衣・食・住は、人間生活にとっての必須要件である。倉稲魂命は、伊勢の外宮の豊受大神と同神である豊葦原瑞穂国の稲作の守護神で、五穀豊作の神である。

当市稲荷町の稲荷神社には、稲穂を担ったこの神が祀られている。なお、市内の諸社に合祀されているこの神は二十柱に近い。

「稲荷」という名称については、「稲が成る」の約であるとか、「稲を担う」の訛であるとかいう。

この神を祀る稲荷信仰は、日本古代神話の昔から、時代の変遷に従ってその信者が増大している。その源流をなす京都の伏見の稲荷山にある伏見稲荷神社(祭神・倉稲魂命)は、九四三(天慶六)年に、最高位の正一位稲荷大明神に昇格した。

室町時代には」商工業の発展にともない、現世利益の方向へ大きく傾いていった。

江戸時代にはいると、一層身近な福徳欣求の現世利益の信者が増大するに至った。いわゆる鎮守稲荷神社のみならず、屋敷神として信仰された。その背後では、倉稲魂命を祀る日本神道系の稲荷信仰と茶吉尼天を祭る仏教(密教)系の稲荷信仰が次第に習合して、ついには、神話の御食津神と密教の三狐神は同神であるというこじつけの説が流布されるに至った。

明治維新の排仏殿釈は当時の宗教界に大きな波紋を与えた。戦後間もなく宗教法人制度が施行されて、いまや信教自由の憲法下にあるが、さて、稲荷信仰の行手は。

編さん日誌

10月
7日民俗編部会
8日社寺教会編 編集小委貝会
13〜14日埼玉県市町村史 編さん連絡協議会
15日社寺教会編 編集小委貝会
21日民俗編部会
22日産業編部会
27日社寺教会編 編集小委貝会
11月
4日民俗編部会
12日社寺教会編印刷説明会
16日社寺教会編印刷入札
19日民俗編部会
26日産業編部会
12月
3日来年度事業について編さん委員会
2日民俗編部会
5日明治神宮資料調査
19日民俗編部会
26日産業編部会

丹生とは丹すなわち朱砂の産出を意味するという。古代これの産出が記録されているのは近江や越前が多いらしい。

これは武具の彩色などに使われたようだ。そんなことから武人の信仰を集めたのではないかと思われる。

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