正確な引用元を控え忘れてしまったのですが、これは「大正五年十月二十五日印刷同十月三十日發行 大日本帝國陸地測量部」と記述のある地図の一部です。当時の飯能の様子を見ることが出来ます。まだ八高線は存在せず、飯能以北の鉄道もありません。駅前通りはまだ八幡神社西側の通りが主要道です。六道には実際に六筋の道が交差していたことがわかります。熊坂、渡戸などいまではない地名も見えます。
畑峠の方へ眼を移すと、当時既に畑トンネルは完成していますが、朝日山・下畑からの山道がトンネルのやや北西で交差していることが見えます。トンネル南部の道と並行して下畑へ降りる道も見えます。また、赤根ヶ峠に集まる道の多さに改めて驚きます。これには記述されていませんが、尾根伝いに畑峠から伸びる道もあったはずです。
