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畑トンネルの歴史 飯能と青梅との経済、文化の交流は明治以
飯能市長 市川宗貞 |
左に掲げたものはトンネルの東側の少し離れた場所に立てられている看板です。 この説明が簡にして要を得ているので引用してみます(表示の都合上縦書きのものを横書きにしてあります。 行数文字数は実際のものと合わせてあります)。
補足すれば、畑トンネルは長さが78.3m、高さは約4.07m。工事は明治42年頃始められたが難航したものらしく、
途中「差支ノ事故ノ為」に請負人が代わるなどして、明治44年に完成したということです。(『飯能市史 資料編Z(行政2)』) |
往時の畑峠は一本松の道とも呼ばれたようです。目印となる松があったのでしょうが今でもあるかどうかはわかりません。
以前トンネルの上に行ったときに、道の真ン中に大きな樹があったような気がするけれど、それが松だったかは未確認です
(そのときは一本松という名前を知らなかったので)。この一本松の道へは幾つかの道筋があったようです。
ひとつは北西の赤根ヶ峠と尾根筋に往来する道、ひとつは北東の大河原・飯能方面へ下ってゆく道(現在の県道の道筋に近い?)、
ひとつは沢沿いに下畑・上畑方面へ降りてゆく道です。この沢沿いの道には保入沢・伊野間沢・穴郷沢からの三本の道筋があったようです。
伊野間沢はトンネル西側の道沿いに流れる沢です。往時の道はこの沢向かいにあったようです。
また朝日山方面への道もあったようです。この道はそのまま朝日山を経由して大河原、矢颪、前ヶ貫方面へ伸びていたようです。
最近の道路地図でもバイパスを降りたT字交差点近辺から畑トンネルの上を通過する山道が記されているものもありますし
(これが保入沢沿いの道か?)、少し古い地図(バイパス以前のもの)では畑神社裏手の辺りから現在のバイパスを横断して
クリーンセンターのそばを通るようなかたちの道筋の記載されているものもあります。
またトンネル西側の出口のT字路の、やや西側から畑峠へ登る道も記されています(これが穴郷沢沿いの道と思われます)。
おそらく上に挙げた以外にも山道が通っていたことは想像に難くありません。
それらの道の焦点が峠だったのでしょうが、惜しむらくはこのあたりの山道はバイパスやニュータウン建設などで
跡形も無くなってしまったことです(地形からして変わってしまった)。そのため畑トンネル建設以前の交通が
どのようなものであったかを想像することはなかなか難しいのですが、これは今後の個人的課題です。
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『飯能市史 資料編]T(地名・姓氏)』の「545.秋葉山」の項には「秋葉山は現在の秋葉神社の旧地で、
畑トンネル上の旧社の跡とおぼしい場所には古木が茂っている。いま畑神社に集められている石塔の大かたは
ここから移動したもので、秋葉神社にある3基も同じ場所にあった。」とある。 秋葉山は畑トンネルから西へ1qほどの場所にある。また畑トンネルの上にあたるいちばん高い場所は 「御殿ヶ入」という地名である。地名からして何らかの信仰が寄せられていたように思われるが、 訪れたときには忘れられたような山道があるばかりで、「旧社の跡とおぼしい場所」も確認できなかった。 上記の「ここから」とは秋葉山のことか? |
「暗やみ、あるいは人家が全くないというところからくる恐怖感からか、この付近でふしぎな体験をしたという話は多いが、 犯罪事件はほとんど聞いたことがない(『南高麗郷土史』183p)」
上記は郷土史からの引用です。これを見ると地元では「ふしぎな体験」が少なからず語られていたことが窺えます。
そしてこのトンネルは地元だけでなく、より広い地域に亙っては心霊スポットとして認知されているという側面を持ちます。
心霊スポットは霊の存在の是非に関わらず、ある機能を有する特異な場所です(その機能については後述します)。
このトンネルは電灯ひとつなく、夜でなくとも不気味ですが、幽霊が現れるという怪談の縁起となる事件などは
一般に流布されるほど社会的に認知されていません。つまりこのトンネルはただ不気味であるというだけで心霊スポットとしての地位を
獲得しているのです(上記の郷土史もたいへん微妙な言い回しですがこのことを伝えています)。これについては、
不気味であることに加えて、自動車で手軽に訪問することができたというのが大きな理由のひとつです(今となっては過去の話ですが)。加えて入口付近には駐車に十分なスペースがあり、たむろするには良い場所だったのです。
こうした人々が訪れやすいという点は重要で、近辺の吹上トンネルは構造だけ見れば畑トンネル以上に特異なのですが、
比較的認知のされ方が低いのは、旧吹上トンネルが自動車では通ることができなかったという相違にあるように思われます。
さて心霊スポットという場所の機能についてですが、これについては別に特に述べるとして、
このトンネルに特化して考えます。心霊スポットの訪問というのは廃墟探訪や廃線歩きなどにたいへん近い行動です。
現在では使用されなくなっており、かつ記念館や公園などのように現在進行形での人の手の管理から離れてしまった建築物は、
過去がそのまま立ち現れているという意味でまさしく歴史的建築物なのです。
そしてそこを訪問するということは過去への遡行であり、訪問者は過去と現在を往還することで歴史的観光地を遊覧するよりも
生々しい体験を得ることができるのです。これが心霊スポットという場所の持つ長所のひとつです(勿論この事の
当てはまらない心霊スポットもあります)。
心霊スポットに限らずこうした無意識のうちに価値を持つようになった場所というのは、
意識的な所作、多くは「開発」と呼ばれる破壊によって台無しにされてしまうことがよくあります。
すでにこの峠近辺ではそれが起こってしまっていますが、トンネル自体は今しばらく残っていてくれるでしょう。
1998年の夏に大雨が降り、これにより西側出口の斜面が崩れました。以来、通行は閉鎖されています。 またこのあと何故かゴミの投棄が増えたような気がします。 しばらくは動かそうと思えば動かせてしまう柵が置いてあるだけであったので、 しばしば脇にどかされているのを見ましたが、1999年夏の大雨(このときも西側出口の斜面が崩れたようです)の後の どこかの時点で、路面にじかに柵が打ち込まれ、車両の通行はまず不可能になりました。 改修する予定も無さそうですが、走り屋その他による事故発生の危険を考えれば、この対応は妥当と言えるでしょう。 このトンネルの近辺が静かになったのは良いことだと思います。 「車両による簡単な訪問」が不可能になった今後は「心霊スポット」として語られることは減少するでしょうし、 遠からず開かれるニュータウンの傍らにあって、近代化遺産としての評価が相対的に進むことが期待されます。 そうして特に補修されることもない、放置と紙一重の保存状態にあるのが理想的かなと考えてみたりもします。 ニュータウンの造成のため、トンネルの上から北側方面、赤根ヶ峠に続く道はもうありません。 トンネルの上からふもとまでの道の一部は現在でも確認できます。
丸い、ぼろぼろの石が地層からこぼれてゆく。
美杉台団地から大河原ニュータウンへ通じる道が遠からず開通するものと思われます。
そしてその道路はたぶんニュータウンを抜けて大河原方面へ下ってゆく道筋をとるのでしょう。
そうなるとかつて畑峠から伸びていた大河原方面・朝日山方面へ連絡する道筋が
再現されることになるとも言えるでしょう。
交通の樣子の推移という点に関しては未だその変容を終えていないこの峠は、今後も観察し続ける価値があると思われます。
参考文献は飯能市民必携の『飯能市史 資料編]T(地名・姓氏)』。
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