宝暦の箱訴



宝暦の箱訴

いまから二百十六年前の宝暦十二年に、武州田安領(現在の飯能市域には岩淵ほか十一か村の田安領があった。)で起こった事件に「宝暦の箱訴」があります。

箱訴とは、八代将軍吉宗が庶民の直訴を受けるために設けた制度で、訴えられた領主や代官は、おもしろかろうはずもありません。

田安領は、現在の飯能市から青梅市にかけて散在しておりましたが、この事件の中心は青梅地方で、飯能では岩淵村が含まれていたようです。

岩淵の小見山利一氏宅の文書によると、延享三年(一七四六)に田安の領地となって十余年を経て、ここで年貢を増すという仰付があったが、これでは到底百姓を続けることができないので、これを免じてほしい。と郡奉行へ訴え出ても聞き入れてくれません。

そこで、箱訴となったわけですが、その後の取調べが厳しく、青梅村に郷牢(牢屋)がつくられ、その中で牢死する者さえいました。

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