御炭焼上納



御炭焼上納

「このたび、武州秩父郡下名栗村の有間山御林(江戸幕府の直轄林)より、御炭焼上納村請を仰せつけられ、江戸へ納めることになりました。右山元より飯能村を中継し、川越新河岸まで村継ぎし、それより船積みして送ります。

御炭運搬中に雨が降るようなことがあれば、その道ぎわで雨やどりして、荷物の炭はぬらさぬように心掛けて運びます。」

徳川家康が江戸へ入封して、城や城下の町ができあがりますと、この大消費地への供給のため、武蔵山付きの村々は材木、炭、薪などの伐採、焼出し、運搬などで繁栄するようになりました。

みなさんよくご存知の筏流しなどがそうですが、この文書は、久須美の大江家に伝わるもので、宝暦十三年(一七六三)のものです。

川越までは馬の背で陸送し、新河岸からは川船に載せて二日ほどかかり、やっと江戸まで着くという全行程四、五日ほどの日数であったようです。

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