振武軍の廻文



振武軍の廻文

市の文化財として指定されている「振武軍の廻文」(横川竹造氏所蔵)は、白子から始まって小丸峠(正丸峠)と吾野方面へ出されたものです。(飯能市史資料編Ⅰに掲載)

これと全く同文のものが、原市場、名栗方面にも出されていたことが、赤沢の浅見譲二氏所蔵文書の中から分かりました。

多くの御用留(役所からの命令書)の中に、その廻文を写しとったもとが見つかりました。

慶応四年五月二十二日付で、名栗方面の村々へ宛て、各村役人一人づつ飯能村の見張番所へ出頭するようにとの振武軍目付からの命令書がこれです。

廻文を受けとってからの村村のようすは不明ですが、この文書日付の翌日に戦闘が始まったことから、恐らく村役人が出頭する以前に振武軍は敗退し、逃散してしまったろうと思われます。その後の隊士の行方は、一部の人達を除いて、まだ分かっていません。

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