虚空蔵

虚空蔵峠です。此処には名前のとおり虚空蔵菩薩が居ます。これはその前から見た視界です。




平らな場所

昭文社の地図には途中「広い草原を横切る」と書かれた場処があるのですが、このあたりになるのでしょうか。




(追記)
  昔、この辺りにはスキー場がありました。
  オープンした年はそれなりに賑わったのですが、翌年もその次の年も雪が降らず、早々に潰れてしまったそうです。 写真のこのへん一帯は周囲と較べて明らかに樹齢が若いので、おそらくここであろうと考えられます。 あるいは近隣の別荘地区とその南側が該当するのでしょうか? スキー場というにはちょっと狭いような気がするし、またスキー客はどんな路程でやってきたのだろう? 鉄道は飯能までしか来てなかったろうし・・・。
  以下に、当時の様子を伝えたものを引用します。
二一〇 昭和十一(一九三六)年二月 スキーヤー二百名押出す
(東京日日新聞 昭和十一年二月六日)

飯能=豊岡両地方では四日正午より降り出した猛吹雪は同日夕刻頃には早くも 積雪量卅センチ余に達し飯能=青梅、飯能=大蔵平、飯能=坂戸、飯能=川越、飯能=入間川、飯能=名栗等の バスは何れも同日午後三時頃には運休、また武蔵野電車八高線列車も夜に入ってダイヤは滅茶々々となり 八高線・武蔵野線は各電車、列車とも卅分乃至一時間半ぐらゐの延着発であった。
この雪は奥武蔵スキー場には積雪五十五センチでスキーに絶好のコンディションとなったので五日朝来 東京市内スキーヤー約二百名位武蔵野電車で乗り込み快走してゐる。
  (都幾川村史資料5(4)『近・現代編 昭和U』都幾川村 平成八年十二月二十五日)
     ※「奥武蔵スキー場を滑走したスキー板」の写真あり
(追々記)
上のほうで「この辺りにはスキー場が」あったと書きましたが、 正確には峠の都幾川側の斜面だったようです。
また「鉄道は飯能までしか来てなかったろうし」と書きましたが、これは間違いで、 昭和4年には吾野まで開業していました。おそらく吾野からバスが出ていたのでしょう。
さて東京日日新聞埼玉版の昭和十一年二月六日号 第一版の記事を探してみたので載せてみます。
この雪は数十年ぶりの大雪で、川口辺りの積雪量は40センチを超えたほか、 軒並み20センチから30センチを超えたようです。別記事には「雪地獄」という言葉や 「未曾有の列車遅延」「学童吹雪で凍死す」といった見出しが見られます。





分岐

刈場坂のすぐ手前となる牛立久保です。




続く