「畠山重忠公の馬蹄跡」です。岩の陥没が並んでいるものを蹄の跡に見立てたものでしょうか。
そもそもここには蹄跡だけでなく、厩の跡といわれる岩窟もあったようです。『新編武蔵風土記稿』に以下の記載があります。

廐跡岩窟
秩父重忠が廐跡なりと云、入口幅二間、高さ奥行ともに三間許、入口の上に柵石と呼べる岩懸れり、跼くまりて入る中程の岩面に、馬蹄のあと二つあり、廐あとの説妄誕といへど、傳へのまゝを記せり、此邊に地獄穴・胎内潜り・風穴など呼べる岩穴あり、みな灰汁石にして此類往々あり
(新編武蔵風土記稿 巻之二百四十七 秩父郡之二)

「灰汁石」とは石灰岩を指しているのでしょうか。 「地獄穴」「胎内潜り」「風穴」など気になる名前が並びますが、 「馬蹄跡」のように宣伝されていないということは鉱山開発のために失われてしまったのでしょうか。 風土記稿にはそのほかにも自然石の辨天があり、宝生の滝の水源になっているという「辨天窟」や、 「おかま穴」と呼ばれる十間(30メートル)ばかりの洞窟に言及していますが、 これらもやはり、惜しいことに失われてしまったのでしょう。