岩殿観音

はじめに

飯能市吾野の岩殿観音です。此処は天然の洞窟に堂を建てた珍しい仏教建築です。 『新編武蔵風土記稿』では割と大きく取り上げれられているのですが、今では地図にすら載っていません。 観光地化を免れたというか、その機会を用いなかったというか、以前に比べて世間からの認知度は下がっています。 それについては長短どちらもあるでしょうが、とにかく信仰というのはナマモノだなということを感じさせます。

岩殿観音については飯能市史に詳しいので、参考としてここでは『風土記稿』の記述の引用のみをします。

「觀音堂 これも岩殿の觀音とて、その名一郡に著しく、近郷に聞ふる勝景の地なり、堂は盤巖によりて造れり、所謂桟閣と云ふべきものか、三間半に四間半、十一面觀音を安ず、木の立像長ニ尺四寸、行基の作、厨子に入る、外に十一面觀音一體は、 觀音院の本尊なりとて、此の堂中に置けり、又この堂に大般若経を藏す、土人これを小野篁の書なりと云へど、左にはあらず、」
「岩窟 堂後にあり、此邊すべて巖々たる盤岩にて、その中に自然の穴窟あり、土人これをさして岩殿と云ひしより、即ちこの山を稱して岩殿とは呼べるなり、按に往古は觀音をこゝに安ぜしを、後年に今の堂を造營して移せしものと思はるゝなり、 穴口高さ二三間、幅二間許、奥行七間許、漸く狭く幽邃なり、其中程に石龕あり、縦三尺、横二尺、高五尺許、石板をもて造り、 其前に石門と稱し、同く石板をもて門の形をなす、其中文を刻するもの一枚あり、其文に曰 當寺天性岩窟自然寶石、因行基菩薩手刻十一面尊像、自安置此靈地 以來六百五十歳、始立此石門、其結縁者數百人、具記名字納此寶殿 大悲照覧悉在此偈、具一切功徳、慈眼視衆生、福楽海旡量、是故應頂禮、文和五年丙申二月十八日、願主比丘元灯 とあり、此外に寄進交名を彫刻せしものありしが近頃何ものか奪去しと云、」 (新編武蔵風土記稿 巻之二百四十七 秩父郡之二)

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入り口

まず吾野駅南西の線路を渡り、「林道アズサズ線」に入ります。

上り口

少し行くと、右手に上り階段があるのでそちらへ進みます。
わかりにくいですが、写真の真ン中やや右よりにあるのがそれです。

塀沿い

発破警告の看板があります。塀沿いに進みます。塀が途絶えても、そのまま道なりに上ってゆきます。

続く