「赤根峠 村の北方にあり、峠は上畑・苅生・大河原三ヶ村入合の峠なり…」
『新編武指藏風土記稿卷之百七十七 高麗郡之二』)

日没前、一瞬の日差し

 かつては六本の道が交差する交通の要衝であったが、畑峠の下をトンネルが通り、 さらには切り通しのバイパスができて、実用的な役割を終える。
 現在は大河原団地造成などによる破壊のために大河原方面、畑峠方面、竜涯山方面への道が封鎖されており、 峠としての機能さえ失ってしまいました。


 峠から苅生方面に少し入ったところに馬頭観音像があります。
以前は「軍茶利明王ではないか?」と思っていたのですが、違いました。 間違えたのがきっかけで、ちょっと石仏のことなど調べてみたのですが、 いろいろな石仏を見てみると確かにこれは典型的な馬頭観音でした。
 この馬頭観音は安永二年(一七七三年)に道の供養のために造立されたもののようです。 石仏の造立というのは意外と近世江戸期に流行したもののようで、ついこの二,三〇〇年ほどなんですね。

(勘違いの理由)
「大河原村 大河原村は郡の中央より西南によれり、加治領に屬す、土人相傳ふ此村を往古は軍茶ヶ根村と唱へしと云、按ずるに當村の鎭守、軍茶利を祭るが故に唱へしならんか…」
(『新編武指藏風土記稿卷之百七十八 高麗郡之三』)

明王の場所

供えられていた花は造花でした。すでに落ちた花も。



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