此処は来てくださった通過者の方にとっては夜を観光するための辻案内の頁です。
多くの道案内がそうであるように、特定の地域・分野に特化したガイドになっています。
このサイトでは私のまったく個人的な都合により奥武蔵周辺の風景を扱っています(一部例外あり)。
私が感情移入できる風景がこの土地に限られているからです。
そしてかつて自分に強烈な姿を見せた夜がなんであったのか、なぜ夜に幻惑されたのかを形なり言葉なりにしようという
衝動によってこのサイトに着手してからすでに四年ほどになりますが、力不足から未だにその秘密を詳らかにできていません。
そして「かつて…」などと過去形で書いているあたりからして、その体験は二度と味わうことのできない、
すでに失われた、または失われつつあるという経過を辿っているようです。
そのためこのページは中途な印象のままであり続けるでしょうが、
行方知れずの夜の道往きは続けていきたいと思っています。
(背景は製作者近影。撮影はセキネ)
夜の観光といえば一般には「夜景」とされています。
この「夜景」というのも高所から都市の人工照明群を眺望することですが、
こうした視界は夜の顕われ方のひとつの典型的な例でしかありません。
しかし夜に視覚できるものの中ではもっとも印象的で、
人間的だからこそ、とりわけポピュラーな楽しみとされているようです。
ただ夜間の景観ということであるならば、山間部の穏やかな夜や、山脈や海洋の巨大な影もパワーのある風景です。
突き詰めて言えば夜景とは夜そのもののことです。もう少し詳しく言うと夜に対する認識に他なりません。
それなら夜間の景観として第一に珍重される都市部の夜景の正体とはいったいなんでしょうか?
人工照明を人間の影と考えるならば、
街燈=人
都市夜景=社会
そして
街燈:夜景 = 個:集
という関係を見ることができるでしょう。それをもって都市部の夜景を人間的と言う事ができそうです。
さて同じ風景でも受け止め方は人それぞれですが、
自分の場合、夜景とは言葉以前の何かであって、それゆえ夢ともあの世の観念とも地続きなイメージを持っているようです。
郊外や山の中での夜景を指向するのはそのためかも知れません。
当頁の製作者が埼玉県飯能市という奥武蔵地方の産であるため、この頁の内容もほとんど奥武蔵周辺に
限定されています。アイデンティティのよりどころとして想い入れを持ってるのかな?と自己分析していますが
こうした想い入れの仕方は儚げで頼りないものですから快楽半分苦痛半分といったところです。
またこの地域に眼を向けるきっかけになったのが畑トンネルだったので、
そのぶん記述も多いものになっています。畑トンネルといえば心霊スポットとしても有名ですが、
自分としては世界を広げてくれた場所でもあるので、ポジティブな印象も持ってしまっています。
自分は「心霊スポット」訪問も積極的な風景体験・夜景観賞のバリエーションであると考えています。
こうした場所に出かけるという危険と軽率は承知の上ですが・・・。
こちらまで
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Goes on Ghosts
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(当頁管理者:セキネタカシ/当頁制作者:戸川夕輔)
セキネタカシ・戸川夕輔は同一個人のそれぞれPNとHNです(苦笑)。